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父との旅の思い出

今年は少し特別な年なので思い出を書いてみました。少し長いですがお付き合いください。

父が旅好きだったことと車を持たなかったことから、子供のころからバスや列車に乗って旅することが多かった。
私が小学校前のころは、小樽から札幌へバスで行くのも乗り継いで行く小さな旅行だった。市内線で朝里まで行き、札幌行に乗り換えて札幌へ向かった光景が記憶の隅にある。もちろん国鉄は蒸気機関車に木製の客車だった時代だ。

小学校の高学年になり父は私を連れて道東の旅を計画した。当時は「カニ族」というキスリングを背負った旅行者が日本中にあふれていた頃で、駅前の屋根のあるところには若者が寝袋に入って転がっていた。

さすがに小学生を連れて野宿は気が引けたのか、当時国設だったキャンプ場を使って国鉄とバスで結んでいくルートを父と計画した。その時に時刻表の見方を教えてもらった。
一般に「キャンプ」自体が浸透していない頃で、若いころ山屋だった父らしい選択だったかもしれない。

なるべく出費を抑えるために食事は基本自炊。材料もほとんど持っていく。今のように便利な道具がなかった時代でもあり、いろいろと工夫を重ねながら調理器具や食材を揃えていく。父は黄土色のキスリング。私はスキー用の左右にスキー靴が入る水色のリュックだった。どちらも結構な大きさだったが一杯になっていた。その上に軍の払い下げの毛布を寝袋代わりに縛り付けて持っていったはずだ。どれくらいの重さだったろうか。日ごろから山へ連れ出されていた私なので重くて歩けなかったような記憶は無い。当時小学生としてはかなり大きかったこともあるかもしれない。

小樽から夜行で網走に入り、見物したのちに斜里まで移動。そこからバスでウトロへ向かい、崖の上にあるキャンプ場に入り一泊。夕日がきれいなスポットだが疲れて明るいうちに寝てしまった。

次の日はウトロから早朝の遊覧船で知床半島の崖などの絶景を見ながら羅臼へ向かい、次に尾岱沼へ向かうのだが、羅臼でキャンプしたような記憶がない。船が何時間かかったか覚えていないが、次の尾岱沼のキャンプ場へ入ったのは昼頃だった記憶があるので羅臼で一泊したのだろう。ヒカリゴケを見るか見ないか相談した記憶もある。軽く船酔いした記憶があるので、町から少し離れたキャンプ場に泊まったのかもしれない。

羅臼を離れて野付半島を見たのちに尾岱沼で一泊した。何もない草むらの中にバス停があり、そこからかなり歩いてキャンプ場に入った気がする。かんかん照りの中に物置のような管理棟が建っている風景を覚えている。

次に屈斜路湖畔のキャンプ場へ移動して泊まり最終目的地は層雲峡のキャンプ場だった。屈斜路湖畔は2泊したかもしれない。けっこうな距離を歩いて温泉に入りに行き、遊覧船にも乗った記憶がある。湖畔を掘ってお湯で顔を洗った記憶もある。暖かく穏やかな場所だったので休憩だったかもしれない。

今も鮮明に覚えているいくつもの風景。
行きの夜行列車で朝起きて見た風景は蒸気機関車の後部の石炭庫だった。
網走の真夏でも寒い海水浴場と小さなオホーツク水族館。
斜里の駅前だったかで駅弁と毛ガニの値段を比べ、カニを選んで駅の階段で食べたこと。
荷物を担いだまま歩いて回った知床五胡。
森繁久彌と加藤登紀子の知床旅情を交互に聞きながら揺られた知床一周の遊覧船からの風景。
白骨のような枯れ木で埋まった野付半島の風景。
尾岱沼のキャンプ場の前で味噌汁の具を袋に小分けして売っていたおばあさん。
夕飯のおかずはその味噌汁に海で採ったアサリを大量に入れたものだった。
朝起きたら牛で埋まっていた尾岱沼のキャンプ場の光景。
温泉に入りに行く途中でブヨの大群に襲われた屈斜路湖畔のキャンプ場。
他にもまだたくさんの風景を思い出す。

今も鮮明に覚えているが、最終目的地だった層雲峡のキャンプ場の入口に「熊が出没したため閉鎖」とあったのだ。
この瞬間に旅は終わった。時刻表とにらめっこして小樽までギリギリ帰れることを確認した時に「家へ帰る」という暗い気分に変わったのだった。

そして最後の記憶は層雲峡からの帰りのバスでは空席がなく、誰かが新聞紙をくれて床に敷いて座ったこと。私も父も暗い顔をしていたことだろう。「仕方がないよね」と何度も言葉を交わしたことを覚えている。旭川から鈍行がなく急行に乗ったような気がする。

父が亡くなって37年ほど。私の年齢は今年で父を10超えることになる。父は永遠に47歳のままなのだ。
妻と結婚してから子供たちを連れて似たような行程を何回かに分けて車で廻った。犬や猫を連れてなので当時とは違う。ほとんど同じ光景が広がっているところもあり、まったく面影もないところもある。ウトロの夕日は30年以上後の旅で妻や子ども達と見ることが出来た。

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私の家族と訪れた知床五湖は当時と変わらずに見えた