Weblog」カテゴリーアーカイブ

安易な自然再生は破壊に匹敵する場合があることを知るべきだ

草木があれば街の公園でも「自然」と呼ぶ人が多いが、それが植えられたものや人が手を入れて管理しているものなら正確には「自然」ではない。それは「人工の緑」だ。

いまアポイ岳の高山植物群落再生計画とかいうものが進められているが、現在進められているやり方に町の諮問機関が見直しを求めている。

都合のいい環境・景観を作ろうとしているのならそれは自然の「再生」ではなく「破壊」に繋がる。人工的に「再生」を目指すのなら諮問機関が言うように遺伝的特性を乱さない方法で栽培対象種を拡大することが必要だ。そして注意深く準備を行わなくてはならない。

なぜなら、同じ種類の木でも、そこにあったものと、遠くから持ってきたものは同じではないからだ。自然の「再生」を目指すなら、そこにある草木の子孫を、自然と同じように草木に競争させ、自然の中のそれぞれの役割を果たさせるような工夫をすべきである。「あの奇麗な木が枯れたから植えよう」という感覚なら何もしない方がいい。人間の影響ではなく自然に枯れたのならそれが自然だからだ。人間の影響なら、植えることを考えるよりも枯れた原因を取り除くことが重要だ。

自然の中の競争は、強いものが勝つという単純なものではなく、それぞれの役割を担って生きるという側面について考えなくてはいけない。成長が早い種は遅い種に日や風の影を提供する。その陰のおかげで生き残る種もある。影になって枯れる種もある。自然とはそういうものだ。

「再生」を目指すには「自然」の中のそれぞれの役割は何かをもっと考えないと取り返しのつかない「破壊」を行ってしまう。
岡村先生が研究してきた「生態学的混播・混植法」の中にもそのヒントがあると思う。興味があったら検索してみてください。

ランプ類のLED化

最近の自動車のランプ類はLED化が進んでいる。
低電力で明るく、素子が小さいのでデザイン的な自由度も大きい。
ただ、大きな問題がある。効率がいいために発熱が少なく、ランプに着いた雪が融けないのだ。

最近になって騒いでいる人も一部には居るようだが、まだ社会的には話題になっていない。信号機は昨年あたりにメディアが取り上げていたし、それ以前に改良版も出ていた。

雪道、特に吹雪の中を走ると露骨にわかるが、ヘッドライトもテールランプも雪が融けずに真っ白になる。ハロゲンランプ等の白熱電球を使っているランプだと電球の発熱で雪が融けるのだ。雪で真っ白くなったランプは危険極まりない。

メディアが取り上げないので不思議に思ってググってみると、一部の人は問題視してはいるようだ。ただ、それがメーカーサイドに伝わっているかというと疑問だ。行政に対しても同じ。

未確認だが、海外にはLEDヘッドランプ装着車にはランプウォッシャーの取り付けを義務付けしている国もあるという。それこそ先進国だし大人の国だ。ヨーロッパではフォグランプの常時点灯やリアフォグランプの取り付けを義務付けているので、ランプウォッシャーも義務化している国があっても不思議ではない。

さてどうしようかと考えても、ランプ類を追加装備するなら自前でも出来るが、ランプウォッシャーはどうにもならない。メーカーが純正で用意しないとどうにもならない。

ただ、ウォッシャーがあっても使わなければ宝の持ち腐れ。無灯火と同じことだな。やはりユーザーが子供な国には何をやってもダメってわけだ。

先日のドライブでのお話

小樽からニセコへ向かうのに、いつものように余市から赤井川へ入り、赤井川道の駅の信号から393号線へのルートを使った。行きは吹雪の中で建設会社のパトロールカーに道を阻まれたが、途中で後に私が居ることに気がついて道を譲ってくれて順調に進むことが出来た。

しかし、峠を過ぎて下るにつれ辺りは軽くホワイトアウト状態。その白い中に黒いものが見え隠れしているのに気がついた。大きなワゴン車が真っ白くなっていて見えず、フロントにあるミラーがたまに見え隠れしていたのだ。リアウィンドウも真っ白でワイパーも熱線も使っていない。それに新しい車に多いLEDのテールランプなのだろう。ライトをつけているらしいのだがテールランプも雪で真っ白で見えない。白熱電球のランプなら熱で雪が少しは融けるのだが。

見通しが悪いため追い越せずに後を走るのだが、下手なので対向車線に入ったり、左の路側に寄ったり、ゆらゆらと蛇行していて怖かった。
幸いにも途中で右折してくれて見通しが良くなった。

そして倶知安から目的の場所へ向かう。途中は青空が広がっているが、直前まで降り積もった雪がたまの突風で飛ぶ状態。今まで見えていた目の前が一瞬でホワイトアウトする。そんな中でも無灯火の車が多い。割合多くの車がヘッドライトを点けているのだが、半数近くが無灯火のまま。「他人の振り見て我が振りなおせ」ではないが、他の車がライトを点けている理由を考えなくては。

帰りは国道経由で帰ろうか迷ったが、倶知安市内のノロノロからすると途中の国道も同様だろうと、帰りも393を選ぶことにした。

予想通り車は少なく、遅い車をテンポ良く追い越して行ったが、峠のトンネル前で小型車に追いついた。トンネルを出て少しすると直線路があるので追い越せるだろうと思っていた。

ところが峠の赤井川側は真っ白い吹雪。前に居た車は突然前を見失って蛇行を始めた。とても後ろにいられないくらいに減速したり蛇行したりを繰り返し始めた。吹雪で視界が悪いときの走り方を知らないととても危険だ。左の雪山に突っ込むだけならいいが、対向車線に入ってしまい、無灯火の車と激突することも十分に考えられる。

なんとか吹雪の間の見通しが良い瞬間に追い越してホッと一息。

そんな吹雪の中でもヘッドライトを点けていない車はけっこう居る。何を考えているんだか。

厳寒期の北海道を車で走る時の鉄則

1.雪が降って見通しが少しでも悪くなったらヘッドライトを点灯。
2.雪の中ではスモールランプ(ポジション)は意味がないので、ライトを点けるときは常にヘッドライトを使う。
3.晴れていても降った雪が舞うような風がある時はヘッドランプを点ける。
4.吹雪の中ではリアウィンドウの熱線はオンのまま。リアウィンドウのワイパーがあるなら動かして後ろが見えるようにする。ウィンドウの雪がないだけでも後ろの車から多少は認識してもらえる。
5.たまに停まったらリアの雪を落とす。
6.吹雪いて前が見えなくなったら、前を真剣に見たまま、左の路側の雪山と、路側を示す標識を視界に捕らえて車を自分の車線の中に保つ。急に停まると追突される危険があるので、先行する車に注意しながら前へ進む。
7.経験が無いなら田舎道ではなく、表通りの国道など交通量が多い道を選ぶ。そういう道はコーナーに街灯などが整備されていて多少は走りやすい。

今シーズン初の祝津沖&ウニ

今シーズン初めて妻と祝津沖へ漕ぎ出した。
水族館の駐車場の下の方がまだ閉まっていたのでお願いして開けてもらい、海に出たいからと一番海に近いところへ車を置かせてもらった。

KIMG3055
予報どおりに風も波もなく気持ちのいい青空の下を赤岩の崖の下の浜を目指した。近いところに上陸できそうなところもあったが崖が間近まで迫っていて落石が怖かったので、浜の様子と崖の近さを見比べながら景色を見ながらしばらく進む。帰って地図で計ってみたらおよそ3キロくらいの距離だった。途中の岩の上や浜に近い海面にたくさんの海鵜が居たが、視界に入ると逃げるように東へ飛んでいく。「ごめんよ!」

途中ですれ違う船は青の洞窟へ行き来するモーターボートと祝津漁港の漁船。漁船は少し沖側を走る。岸に近いところはウニ採りの漁師さんがいるので影響が無い様に沖を通るのだと思う。しかし青の洞窟へのモーターボートの通るところはばらばら。帆を下ろして泊っているヨットの近くもお構いなし。
漁船や個人のモーターボートは間近ではなくてもすれ違うときに減速してくれるが、洞窟の遊覧の業者は知らぬ顔。新聞で読んだ悪い評判そのままのようだ。

背後がなだらかな草むらの斜面で、打ち上げる波の低いところを見つけて上陸する。波が低い割りに高く打ち上げるところは水深が急に変化しているので、発着のときに苦労するからだ。山の感じからすると中赤岩の真下より少し手前(東側)にあたるようだ。

KIMG3060

着いてお湯を沸かしてコーヒーを飲み、妻と景色を見ながら1時間ほどぼんやりとしていた。トド岩の方からフェリーが見えてきた。時間からすると新潟行きだろうか。そこから目の前を通り西に消えていくのに40分ほど。その手前をまた海鵜が東へ飛んでいく。どうも東側にある岩へ向かっているようだ。

KIMG3068

波の音を聞きながらこういう景色を眺めていると時間を忘れる。2杯目のコーヒーを飲みきったところで、腹も減ってきたし次の目的地の青塚食堂へ。

KIMG3069

美味しかったー!
でもここで気がついた。朝市で塩水ウニを買ってご飯を持って行けば絶景の中で食べれる!次は絶対にそうしよう!ホタテの稚貝か雑魚でも買ってきて味噌汁も作ろう!絶景の中ではインスタントラーメンでも美味しい(^^)

KIMG3070

帰って格納庫(笑)に収納したカヤック。この2艇は昨年買ったトライブ13.5(赤)と9.5(黄)。今回は2人なので13.5。一人乗りの9.5は21kgで頭の上に持ち上げると歩きやすいが、13.5は30kgとかなりきつい重さ。若い頃なら頭の上に持ち上げることも出来ただろうが今は無理。車のルーフへの積み下ろしはなんとか一人でこなせるが、大きく持ち難いので足場が悪いところで持って歩くのは無理。筋肉を増やさないと楽しむのも楽じゃないよ(笑)

父との旅の思い出

今年は少し特別な年なので思い出を書いてみました。少し長いですがお付き合いください。

父が旅好きだったことと車を持たなかったことから、子供のころからバスや列車に乗って旅することが多かった。
私が小学校前のころは、小樽から札幌へバスで行くのも乗り継いで行く小さな旅行だった。市内線で朝里まで行き、札幌行に乗り換えて札幌へ向かった光景が記憶の隅にある。もちろん国鉄は蒸気機関車に木製の客車だった時代だ。

小学校の高学年になり父は私を連れて道東の旅を計画した。当時は「カニ族」というキスリングを背負った旅行者が日本中にあふれていた頃で、駅前の屋根のあるところには若者が寝袋に入って転がっていた。

さすがに小学生を連れて野宿は気が引けたのか、当時国設だったキャンプ場を使って国鉄とバスで結んでいくルートを父と計画した。その時に時刻表の見方を教えてもらった。
一般に「キャンプ」自体が浸透していない頃で、若いころ山屋だった父らしい選択だったかもしれない。

なるべく出費を抑えるために食事は基本自炊。材料もほとんど持っていく。今のように便利な道具がなかった時代でもあり、いろいろと工夫を重ねながら調理器具や食材を揃えていく。父は黄土色のキスリング。私はスキー用の左右にスキー靴が入る水色のリュックだった。どちらも結構な大きさだったが一杯になっていた。その上に軍の払い下げの毛布を寝袋代わりに縛り付けて持っていったはずだ。どれくらいの重さだったろうか。日ごろから山へ連れ出されていた私なので重くて歩けなかったような記憶は無い。当時小学生としてはかなり大きかったこともあるかもしれない。

小樽から夜行で網走に入り、見物したのちに斜里まで移動。そこからバスでウトロへ向かい、崖の上にあるキャンプ場に入り一泊。夕日がきれいなスポットだが疲れて明るいうちに寝てしまった。

次の日はウトロから早朝の遊覧船で知床半島の崖などの絶景を見ながら羅臼へ向かい、次に尾岱沼へ向かうのだが、羅臼でキャンプしたような記憶がない。船が何時間かかったか覚えていないが、次の尾岱沼のキャンプ場へ入ったのは昼頃だった記憶があるので羅臼で一泊したのだろう。ヒカリゴケを見るか見ないか相談した記憶もある。軽く船酔いした記憶があるので、町から少し離れたキャンプ場に泊まったのかもしれない。

羅臼を離れて野付半島を見たのちに尾岱沼で一泊した。何もない草むらの中にバス停があり、そこからかなり歩いてキャンプ場に入った気がする。かんかん照りの中に物置のような管理棟が建っている風景を覚えている。

次に屈斜路湖畔のキャンプ場へ移動して泊まり最終目的地は層雲峡のキャンプ場だった。屈斜路湖畔は2泊したかもしれない。けっこうな距離を歩いて温泉に入りに行き、遊覧船にも乗った記憶がある。湖畔を掘ってお湯で顔を洗った記憶もある。暖かく穏やかな場所だったので休憩だったかもしれない。

今も鮮明に覚えているいくつもの風景。
行きの夜行列車で朝起きて見た風景は蒸気機関車の後部の石炭庫だった。
網走の真夏でも寒い海水浴場と小さなオホーツク水族館。
斜里の駅前だったかで駅弁と毛ガニの値段を比べ、カニを選んで駅の階段で食べたこと。
荷物を担いだまま歩いて回った知床五胡。
森繁久彌と加藤登紀子の知床旅情を交互に聞きながら揺られた知床一周の遊覧船からの風景。
白骨のような枯れ木で埋まった野付半島の風景。
尾岱沼のキャンプ場の前で味噌汁の具を袋に小分けして売っていたおばあさん。
夕飯のおかずはその味噌汁に海で採ったアサリを大量に入れたものだった。
朝起きたら牛で埋まっていた尾岱沼のキャンプ場の光景。
温泉に入りに行く途中でブヨの大群に襲われた屈斜路湖畔のキャンプ場。
他にもまだたくさんの風景を思い出す。

今も鮮明に覚えているが、最終目的地だった層雲峡のキャンプ場の入口に「熊が出没したため閉鎖」とあったのだ。
この瞬間に旅は終わった。時刻表とにらめっこして小樽までギリギリ帰れることを確認した時に「家へ帰る」という暗い気分に変わったのだった。

そして最後の記憶は層雲峡からの帰りのバスでは空席がなく、誰かが新聞紙をくれて床に敷いて座ったこと。私も父も暗い顔をしていたことだろう。「仕方がないよね」と何度も言葉を交わしたことを覚えている。旭川から鈍行がなく急行に乗ったような気がする。

父が亡くなって37年ほど。私の年齢は今年で父を10超えることになる。父は永遠に47歳のままなのだ。
妻と結婚してから子供たちを連れて似たような行程を何回かに分けて車で廻った。犬や猫を連れてなので当時とは違う。ほとんど同じ光景が広がっているところもあり、まったく面影もないところもある。ウトロの夕日は30年以上後の旅で妻や子ども達と見ることが出来た。

Img_1894_X
私の家族と訪れた知床五湖は当時と変わらずに見えた

 

 

 

この時期になると考えること

保健所犬猫応援団のページにうちのプーさんのことが掲載されました。
そこで、この時期になると思うことを書き連ねてみました。少し長いですが読んでいただけるとうれしいです。

うちの愛犬、プーさんはクリスマス頃に街中を彷徨っているところを保護され、犬管理所に収容されました。小樽の犬管理所は暖房もなく雨風を凌ぐだけの施設です。保護のための活動をされている団体の方が寒さに耐えられないと判断して引き取り、その後私の家に来ることになりました。

小樽には引き取られた動物の世話をして引き取り手を探したりしている保護団体があり、殺処分をゼロにしようと活動されています。そのことは何度か新聞でも取り上げられました。読んで知っている方も多いと思います。同じように活動をされている方々が全国にいます。今回プーさんのことを掲載してくださった保健所犬猫応援団もその一つです。

環境省の統計を見ると昭和49年と比べて犬猫の殺処分数は10分の1程度にまで減っています。確かに右肩下がりのグラフになっており、減っていることがわかります。それでも年間に13万匹ほどが殺処分されています。

近年、ペットに関する法令が少しだけ整備され、ペットショップの営業時間に制限が加えられたり、販売業者の義務が明記されたりしました。それでもまだ犬や猫の扱いは「物」であることに変わりはありません。そして、犬猫が「物」のように並べられているペットショップが多いことも変わっていません。

アメリカの一部の州ではペットショップを置けないところがあり、飼いたい人は相談所を訪れてブリーダーを紹介してもらい、ブリーダーと話をしたうえで分けてもらうというシステムがあるそうです。お互いの人柄や状況を確認して売買するシステムです。
日本も同じようにしなくてはならないというわけではありませんが、そういうシステムも取り入れることができるといいなと思います。
今の日本では知り合いの紹介で行くことくらいしかできませんので、情報を集約して紹介できるシステムを作ることはできないものでしょうか。

なぜこんな話になったか。保健所に引き取られる犬猫の中には、飼い主が亡くなったり、事情があって飼えなくなったものも多いですが、おもちゃを買う感覚で買われ、手に負えなくなって手放すものも多いと考えるからです。うちのプーさんのようなケースです。

ペットを飼うということは、お金や時間や生活にいくつもの負担がかかります。そういったことを理解したうえで飼わなくてはいけない。みんながそれを理解できる社会になったら殺処分はゼロに近づけるのではないかと思います。

心に沁みた

昨夜、宴会帰りの電車の中で読んでいて心に沁みた作品。
魯山人にとっての「料理」を私たちの「町づくり」に置き換えるとそのまま通用するような気がします。

「料理はいつもわれわれ日常生活とともにある。そして、そのコツも、いつもわれわれのいちばん手近にある。だが、道は遠いかも知れない。しかし、その遠い道は、いつもいちばん手近の第一歩からはじまっているのだ。」

青空文庫 図書カード:No.50009
作品名: 料理の第一歩
作品名読み: りょうりのだいいっぽ
著者名: 北大路 魯山人
http://www.aozora.gr.jp/cards/001403/card50009.html

スパムの法則

私はAUを使っているので迷惑メールがほとんど届かない。
知り合いの迷惑メールを見せてもらって、どうして字間にピリオドやカンマが入っているのだろうかと調べてみた。

始めは海外のスパム業者が変なエディタで書いているために変なコードが紛れ込んでいるのだろうと思っていたが、意外や意外、スパムフィルタに単語が引っ掛からないように字間に不要な記号を加えているんだそうです。

スパムフィルタをすり抜けても、こんな文章を信用する奴はいるわけない。
少し前は三下の使いっ走りがパソコンの前でスパムの文章を書いてたらしいですが、未だにレベルは変わってないんですね。
どこまでもおバカな連中だこと(笑)

映画「エレクトリックミスト」を見た

原作はジェイムズ・リー・バークのロビショーシリーズの第1弾だった。
日本の映画館では公開されていないらしい。
ツタヤでDVDを見つけて、見る機会を逃したまま忘れ、最近やっと見た。
ジェイムズ・リー・バーク自体あまり日本では人気が無いのか、2001年ころを境に出版されていない。

盛り上がりの少ない暗いハードボイルド物だが、トミー・リー・ジョーンズがいい雰囲気を出している。
ラストに向けて巻きに入るのは気になるが、ラストの雰囲気はなかなかのもの。
こういう映画をもっと作ってくれないだろうか。ドンパチやる賑やかなのもいいが、しっとりとした雰囲気は落ち着く。

ジェイムズ・リー・バークかジェイムズ・クラムリーの新刊は出ていないだろうか。
明日あたり本屋へ足を運んでみたい。

他にお勧めをいくつか。

サラ・パレツキーのV.I。ウォーショースキーシリーズ。珍しい女性の探偵。割合日本でもファンは多く、作者は何度も日本に来ているようだ。

レイモンド・チャンドラー。フィリップ・マーロウシリーズ。定番ともいえるシリーズ。

ロス・マクドナルド。リュー・アーチャーシリーズ。これも定番。

矢作俊彦。日本の作家のハードボイルドは嘘くさいのが多いが、矢作俊彦の作品は本物の味がある。谷口ジローや大友克洋の漫画の原作を書いていたりするのも面白い。

今は斧を使ったことがある人どころか見たことがある人も少ないだろう。
私が子供の頃の家にはあったが、近所の多くの家には無かったと思う。

近くで見たことがある人は気がついただろうか。
日本の斧の刃の両面に3本と4本の川の字のような溝が彫られている。

「なんのため?」と子供の頃に父に聞いて教えてもらった。

木こりが山で木を切るときに木の神様に手を合わせるそうだ。「これから切らせていただきます」と。その時に供え物として酒と米を供えたいのだが山の中。その代わりに斧の両面に酒を意味する3本の筋、米を表す4本の筋が彫られている。それを木に立てかけて拝むそうだ。

だが、なぜ3本が酒で4本が米なのかも聞いた気がするが忘れてしまっていた。

『木に学べ-法隆寺・薬師寺の美-:西岡常一』(小学館,1988.3.1)という本が発売されて読んだ時にそのなぞは解けた。

三本の方をミキと言います。ミキつまり御酒(みき)のことですから「酒」でんな。
そんで四本ほうがヨキゆうて五穀のことです。ヨキは四大「地水火風」をあらわしてます。地は地面、水は水(みず)、火は太陽、風は空気でんな。つまり四方山(よもやま)の山海の珍味いうことでしょう。

こういう気持ちって大切だと思う。