剱岳

映画『劒岳 〈点の記〉』を見た。
2年の歳月と10億円を投じて撮影された映画である。

内容も映像もすばらしいものだった。改めて「山とは」と考えさせられる作品だった。
「なぜ山に登るのか」「なぜ地図を作るのか」そういった問いかけを真剣に考えながら見させてもらった。

この映画の中でも触れているが、この1907年7月の測量に関して「点の記」は存在しない。
作品の中では軍が千年前の行者による登頂を重く見て記録を抹殺したことを示唆するような台詞があるが、映画の中でも四等なので点の記は無いということが説明されている。軍が初登頂しなくてはならないという意地があったようだし、行者を称える余裕もなっかたようだ。

実際、柴崎芳太郎が下見の結果から重い三角点標石などを運び上げることを断念し四等三角点として測量を行ったため「点の記」という公式の記録としては存在しない。実際の測量作業に入るときにはすでに四等と考えていたようで四等用の資材をひとつ追加するように指示していた。

それから100年余り後の2004年にヘリコプターを使って標石を運び、国土地理院により三等三角点が設置された。
その時に作成された三等三角点「剱岳」点の記では選点日時を「明治40年7月13日」とし、選点者として柴崎芳太郎の名が記載されている。

柴崎は1907年7月の周辺の山々の三等三角網の測量によって山頂の独立標高点(現在の「標高点」)を2998m(四捨五入前は2998.02m)と計算した。
2009年の元国土地理院 山田明氏によるGPS等による測量では、2998.42mであった。
およそ百年前の技術にして、なんとも驚異的な正確さだ。

【追記】
2007年(平成19年)が登頂から100年を迎えることを記念して国土地理院北陸地方測量部が「剱岳測量100周年記念事業」として2004年に三等三角点を設置し、GPSにより位置測量を行い、「点の記」が作成されました。
その「点の記」は国土交通省国土地理院の報道発表資料 2004年10月28日付で見ることが出来ます。

なお、広報 第436号 「剱岳三等三角点設置」によると、三角点の選点は柴崎芳太郎測量官の冠字「景」を使い、また同氏が意図していた剱岳三角点番号(27)を用いたということです。
(冠字:選点者の略号。通常は姓の頭文字を用いることが多い。想像だが、柴崎氏の場合は万葉かなの文字を用いたようである。)