この後の[小樽築港ベイエリア活用促進実行委員会]の行事予定
詳しくは同実行委へお問い合わせください。
問合せ:0134-33-1340
場所:築港臨海公園前大桟橋周辺
7月17日(土)-18日(日)-19日(月)「第3回・ボート天国市民舟遊び3日間」
8月 1日(日)「第1回・市民海上大運動会&フリマ」
8月22日(日)「第4回道新杯!いかだレース大会&フリマ」
9月5日(日)「第3回障害者舟艇体験教室」
9月19日(日)「第4回・漁業体験教室」
海を大切に!ベイエリアの清掃大作戦 (2010/06/27)小樽ジャーナル
「小樽築港ベイエリア活用促進実行委員会」が実施した清掃大作戦に参加してきた。いつもお世話になっている海をきれいにというイベントである。
もりのきの原田さんもヘルパーさんと一緒に参加していた。
前日に陸から海に風が吹いたためゴミは沖に流され集めたゴミは少なかったが、それでも結構な量だった。
意外に多かったのがタバコの吸殻とパッケージ。町内の子供会の町内清掃でも多いのはタバコ。愛煙家としてさびしい限りだ。
年寄り、若者、子供たちで一生懸命に拾い集めた。集められた量は少なかったが、ゴミを捨てない汚さないという気持ちはみんな今までよりも強く持っただろう。それがたぶん一番の収穫。
また今年もきれいな海で楽しもう!!
「オーガニック食品でかえって肥満、なんで? 米大学研究」という朝日新聞の記事があった。
「再生紙は高い。なんで?」と似ていなくもない疑問だ。
言葉の意味を取り違えてというよりも、都合の良い知識しかないだけのことだ。
高速道路を無料化すれば無駄なガソリンと税金が消費される。
古く「エコでない」という車を買い替えることで一部の企業は潤い、民衆の金と国民の税金は浪費される。
再生紙を使うことで無駄な糊とエネルギーが消費されるが木は増えない。
世の多くの民に、車1台製造するのにどれだけの「エネルギー」が使われているかは教えないし疑問も持たせない。
「買い換えるとエコ」と一方的に洗脳するだけだ。疑問を抱くニュースキャスターは居ても特集番組やキャンペーンまでは組まれない。
紙を使うことで木が切られる。だから木を切る量を減らすために紙を再生して使う。
それは半分くらいは正解だ。でも木は増えない。ではどうする?
答えは簡単だ。木を植えなくてはならないのだ。そのために切った分の木を植える制度がある。「FSC森林認証」
もう既に流行や格好のためのエコの時代は終わっっている。
次の世代のために真剣に環境のことを考えなくてはならない時代がもう来ている。
「イカロス」(6月18日北海道新聞社 卓上四季)
全般的には好意的な記事なのだが結びの段落の中にこういう文がある。「太陽の光で進む帆船の計画が、向こう見ずだと思えなくはない。」
記事全体として好意的に読めば読むことも出来るが、この一文に記者の気持ちが見え隠れする。
人の言葉を都合よく切り取って批判している側の人間なのに自分の言葉が切り取られることには考えも及ばないのだろう。
前後の文章から考えても記者の正直な気持ちを書いてしまったと読める。好意的に書かなくてはと書いていたがやはり自分の気持ちを書いてしまったようだ。
こういう程度の低い文を朝から読んでしまったことを後悔している。
この記事を見てアーサー・C・クラークの「太陽からの風」(The Wind from the Sun)を思い出した。途方もなく大きな帆に太陽光を受けて宇宙空間を疾走する太陽ヨットレースを描いた氏の1972年の作品だ。
出版社の記録を見ると日本での出版は1978年とあるので、その年に新刊を買って読んだはずだ。
地球を何周かして加速し、地球の重力圏を離脱して月へ向かうレースを題材にしている。
ストーリー的には余り印象はないが、操船する様子とメカニカルな部分が印象に残っている。
もう30年以上前に読んだ作品だが、途方もない夢物語ではあるがいつかは実現するだろうと漠然と考えていた。
なんとその技術が私が生きているうちに実現しようとしている。(レジャーとして使えるものになるまでにはあと何十年もかかるだろうが)
この夢物語の中の技術を実現しようとしている技術者の方々に拍手を送りたい。
長崎ちゃんぽんのリンガーハットが長崎でドライブスルーの店舗を展開するらしい。
読売新聞の記事だ。「リンガーハット、ドライブスルーで本場進出」
笑えるのはこの記事を書いた記者はリンガーハットが長崎の料理屋が始めたものだということを知らないことだ。
別にどのファミレスがどこから出てきたか知らないのはどうでもいいことなのだが、「東京の企業がちゃんぽんで本場進出?」的な書き方をするのにも下調べも行っていない。これは今のマスコミ全般に言えることなので、特に読売の記者がどうとかというわけではないのだが、私的には「なんとも、また・・・」と苦笑してしまったわけである。