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初めてのJアラート

初めてJアラートの画面を見て感じたのは「何も出来ない」でしたね。これを読んでいるあなたもそうだったでしょ?

今回の件でいろいろな声を聞くが、どれも「それは理解できる」とは思う。
特に範囲が日本の半分に及ぶ理由については、理由自体は理解できるが、そんな警報には意味は無い。それだと大多数の国民に「死の覚悟を決めて黙って待ちなさい」と言っているのと同じことだとは考えないのでしょうか。

弾道がわかればコースは決まる。速度など不確定な要素で落ちる場所は特定できなくとも、どういう線が引けるかを元に、天気予報の降水確率的な予測は立てられないのだろうか。あるいは台風のコース予想図でもいい。あくまでも予測値なのだから、画面の端に「予測値ですので外れる可能性があります」と小さく書いておけばよい。

おまけに落ちて15分後くらいに「落ちました」のお知らせというのも同じこと。3分で警報を出したのなら、落ちた3分後には結果を流せないわけがない。

言葉は悪いが「お役所仕事」「親方日の丸」そのものの「一応作っただけ」のシステムだ。

「ジャネーの法則」というものを知りました

年を重ねるごとに日々が過ぎ去るのが速くなっていく。
それも年を重ねるごとに加速度をつけて速くなる。
一日も速いが、あっという間に1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、季節を重ねて1年が過ぎ去る。

どうも「ジャネーの法則」という有名な法則があり、中身に論理的なものは感じられず、現象を感覚的に表現しただけのように思えますが、正しいと感じる人は多いようです。

このサイトを見るとなんとなく納得できます。

「気が付けば1日が終わってる!「ジャネーの法則」はなぜ起こる?」
http://bizamurai.com/33017

20歳で人生の半分が終わっていることになるらしいですが、もうすぐ還暦。残りがそう多くはないわけです。

これまでやりたいことが多すぎて妻と過ごす時間をないがしろにし過ぎました。これからはちょっと考えを改めて遊びに時間を割こうと思います。昨年末に残り時間がそう多くはないことに突然気がついてしまったわけです。

「子猫のへや」というサイト

いいサイトを見つけました。
「子猫のへや」
http://www.konekono-heya.com/

そこらで売っている猫の飼い方的な本よりも詳しく、出典などもきちんと書いています。
飼おうとする方も飼っている方も参考になると思います。

犬も猫も長く飼っていますが、知っているつもりでも調べてみると意外と知らなかったりします。知っていることの確認として見るのもいいかもしれません。

そこの出典にも使われている日本獣医師会の「小動物診療料金」という統計資料です。飼育者意識調査も掲載されていて、興味がある方には貴重な資料だと思います。
http://nichiju.lin.gr.jp/small/ryokin.html

沿岸波浪予想

海に出るときに必ず使うアプリがあります。国際気象海洋株式会社の航空波浪気象情報というアプリです。そのアプリの波浪予想図と海上風予想図です。PC版のホームページよりもスマホ版のアプリの方が情報量が多いようです。

この画像はホームページの今週末日曜日の朝9時の予想。小樽近辺は50cm以下の波であることがわかります。アプリ版だと同様に風予想も見られて1~3m程度だそうです。

時系列で見ることが出来るので、3時間ごとの予想を見ることが出来ます。海へ出る当日の時間の前後の予想を見ておくと急変する可能性なども見ることが出来ます。一度穏やかなので甘く見て海へ出たところ、途中から10m近い風に変わって慌てて帰ったことがあります。海へ出る前には必見ですね。

このアプリは有料版だと見れる情報もありますが、無料版でも十分な情報を得ることが出来ます。私は無料版を使っています。対応OSはAndroid4.0.3以上です。やっと最近iPhoneも防水になったらしいのでアプリが対応するといいですね。

国際気象海洋株式会社

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北炭ローダーと高架桟橋

手宮にあるホーマックの裏の海面にコンクリート製の基礎が2つ顔を出している。
ネットではよく「高架桟橋の遺構」と紹介されているし、信じている市民も多い。小樽のことをよく知ってますという顔を人も意外と事実を知らないことが多い。

wikipediaによると1911年(明治44年)に高架桟橋が小樽港に設置され、1944年(昭和19年)の戦争末期に攻撃の標的となることを避けるために上部のみ解体・撤去され、1961年(昭和36年)には基部も解体・撤去されたということだ。

私が2歳の頃の解体なので高架桟橋の基礎はまったく記憶にはない。父が港で仕事をしていてよく港に行っていたので見たことがあるのは間違いないと思うのだが。

あの基礎は北炭のローダー(石炭を船に積むためベルトコンベアーのようなもの)の基礎なのだ。私の記憶にあるのはローダーの下に船が入っている風景だが、石炭を積む作業風景や音は思い出せない。

ローダーのネット上の写真を探して見たが当時の風景で写っているものを見つけることはできなかった。博物館に古い写真が保存されているので、見たい場合は相談してみるとよい。
私が唯一見つけられたのは市内の龍徳寺の廊下にかけられた風景画で、私が知っている風景が描かれている。義父の命日にお寺へ行った時に写真を撮った。

1976年の航空写真ではローダーが存在していることがわかる。しかしこの後は2008年まで写真が無くすでに解体されて基礎しか残ってない。いつ解体されたかは不明だ。

ネット上の根拠のない情報をあまり信頼したくないが、ローダーは昭和50年代に解体されたということだ。私の高校時代の記憶ではまだ存在していたので、それとも合致する。


1976.08.26の航空写真(国土地理院の地図・空中写真サービスより)

高架桟橋の位置はどのあたりかというと、今の石油タンクが並ぶ辺りとローダーの基礎の中間辺りになる。
解体された1961年の航空写真では高架桟橋の基礎のようにも見えるものが写っているが、1976年の写真でも同じ位置に同じようなものが写っている。これは高架桟橋の基礎ではなく石油タンカーから石油を送るためのパイプラインなのかもしれない。今も手宮公園下の崖に残る高架桟橋への斜路を延長するとちょうどいい位置にあるのだが、1976年に基礎が残っていたとは思えないからだ。ひとつ可能性として残るのは、wikiに書かれている基礎の撤去が間違いで、基礎部分はかなり後まで残っていたということだ。

10才ほど年上の船乗りが、つい最近まで海中に高架桟橋の基礎だった杭が見えたということだが、その方とボートで近辺を探しても見つからなかった。


1961.05.14の航空写真(国土地理院の地図・空中写真サービスより)

町の記憶というものは儚いものだ。物が残っていてもそれが何だったのか記録に残さなくてはただの「物」で終わってしまう。皆が興味を持たないものほど消えて無くなるのは早いものだ。