猫が来た日

娘のソフトボールの地区大会を見に行った帰りに近くの農家からゴーヤの苗を買ってきた。
今流行のグリーンカーテンを作るためである。昨年に続き2年目になる。
ちょうど今日のような強い日差しの時に居間に入る陽を遮ってくれるのだ。

鉢を出して蔓を這わせる紐を用意していたところに、帰りがけに見かけた小さな生き物とその後を追う竹の棒を持った小学生が目に入った。

心配になって行って見ると、どう見ても1ヶ月半に満たない子猫を焼けたアスファルトを歩かせていたのである。それも曲がると棒で突っつきながらである。あの家からだとかなりの距離になる。


こんなに熱いアスファルトの上を歩かせると熱中症で死ぬことを落ち着いて説明しても「外に出たがってたから」死ぬってわかるか聞いても「ふぁーぃ」と返事にならない声。
その子によると「ママがあしたほけんじょにつれていくっていってた」と言う。

保健所へ連れて行っても引き取り手が無いと死ぬことを教え、家を教えて、「飼わないで保健所へ連れて行くのならおじさんが飼える人をさがすから、お母さんにそう言って来なさい。」と猫を引き取った。

ちょっと強引だとは思ったがこのままでは子猫は死んでしまう。最悪の場合飼うことになるだろうが家の中で反対する人間は一人もいないことは確信していた。

後で親が来たが「あの親にしてあの子あり」の典型。暑さの中を歩かせて死ぬことは「動物を飼ったことがないからしらなかった」保健所へ連れて行ってどうなるのかの問いには「だって山に投げるよりはいいでしょ」だった。精一杯丁寧な言葉を使っていたが「厄介払いが出来た」という気持ちと「なんでこんなことを言われる」という気持ちが見え見えだった。

帰った後で「知らなかったで済むんなら警察はいらん!」と叫ぶ夫婦なのだから当然の結末ではあるが、便所に産み捨てられる赤子や青あざを作って泣いている子供たちはここから始まっていると確信している。弱い者を思いやり、かわいいものを素直に愛しく思う心が無くなった時に子供達や動物などの弱者が虐げられるのだ。