北炭ローダーと高架桟橋

手宮にあるホーマックの裏の海面にコンクリート製の基礎が2つ顔を出している。
ネットではよく「高架桟橋の遺構」と紹介されているし、信じている市民も多い。小樽のことをよく知ってますという顔を人も意外と事実を知らないことが多い。

wikipediaによると1911年(明治44年)に高架桟橋が小樽港に設置され、1944年(昭和19年)の戦争末期に攻撃の標的となることを避けるために上部のみ解体・撤去され、1961年(昭和36年)には基部も解体・撤去されたということだ。

私が2歳の頃の解体なので高架桟橋の基礎はまったく記憶にはない。父が港で仕事をしていてよく港に行っていたので見たことがあるのは間違いないと思うのだが。

あの基礎は北炭のローダー(石炭を船に積むためベルトコンベアーのようなもの)の基礎なのだ。私の記憶にあるのはローダーの下に船が入っている風景だが、石炭を積む作業風景や音は思い出せない。

ローダーのネット上の写真を探して見たが当時の風景で写っているものを見つけることはできなかった。博物館に古い写真が保存されているので、見たい場合は相談してみるとよい。
私が唯一見つけられたのは市内の龍徳寺の廊下にかけられた風景画で、私が知っている風景が描かれている。義父の命日にお寺へ行った時に写真を撮った。

1976年の航空写真ではローダーが存在していることがわかる。しかしこの後は2008年まで写真が無くすでに解体されて基礎しか残ってない。いつ解体されたかは不明だ。

ネット上の根拠のない情報をあまり信頼したくないが、ローダーは昭和50年代に解体されたということだ。私の高校時代の記憶ではまだ存在していたので、それとも合致する。


1976.08.26の航空写真(国土地理院の地図・空中写真サービスより)

高架桟橋の位置はどのあたりかというと、今の石油タンクが並ぶ辺りとローダーの基礎の中間辺りになる。
解体された1961年の航空写真では高架桟橋の基礎のようにも見えるものが写っているが、1976年の写真でも同じ位置に同じようなものが写っている。これは高架桟橋の基礎ではなく石油タンカーから石油を送るためのパイプラインなのかもしれない。今も手宮公園下の崖に残る高架桟橋への斜路を延長するとちょうどいい位置にあるのだが、1976年に基礎が残っていたとは思えないからだ。ひとつ可能性として残るのは、wikiに書かれている基礎の撤去が間違いで、基礎部分はかなり後まで残っていたということだ。

10才ほど年上の船乗りが、つい最近まで海中に高架桟橋の基礎だった杭が見えたということだが、その方とボートで近辺を探しても見つからなかった。


1961.05.14の航空写真(国土地理院の地図・空中写真サービスより)

町の記憶というものは儚いものだ。物が残っていてもそれが何だったのか記録に残さなくてはただの「物」で終わってしまう。皆が興味を持たないものほど消えて無くなるのは早いものだ。

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