なぜ止められなかったか

 文学館横の4本のポプラが伐採された。おおよそ60年間歴史を見てきた木である。少し自分の中の気持ちを整理するためにもここに書き留めておく。
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 9月5日(日)に「ポプラ並木を守る会」(松浦光紀代表)を発足させポプラ保存の活動を行っていたが、その甲斐もなく2010年10月4日朝8時半から作業を開始して同日12時半頃に最後のポプラが切り倒された。

 twitterにはここ数週間ほど市に対するいろいろな反対意見が流れ続けていた。守る会の署名も最終的には2500人ほどが集まったようだ。だが切り倒された現場を見ていた人は一握り。守る会を除くと5名程度だった。

 「興味があった」「伐採に反対してた」という人でも平日月曜日に来れる人は少ないだろう。また、「見るに忍びない」という気持ちの人も多かったろう。私はたまたま振り替え休日だった。そして最後は見てあげたいと思った。しかしわずか5人というのは何を物語っているのだろうか。


 これまでの経緯は北海道新聞の小樽後志のページで何度か報道されていた。内容は偏ったものではなく事実を正確に報道していたように思う。小樽ジャーナルでは特集を組むほど力を入れてWebという特性を生かして即時に正確な情報を流していた。立場としては反対の立場だったと思う。小樽市の広報おたるでは「残すべきとのご要望がありました」と反対運動を無視して正しい情報を流そうとしなかった。テレビ局のUHBでもスーパーニュースの中で運動を取り上げたが内容は見ていない。

 いずれにしろ情報は市民が得ようと思えばいくらでも得られる状況にあった。しかし、あの日の町を行く市民はほとんど立ち止まらず、立ち止まった人の多くは「何があったの?」「切るの?」という反応だった。ほとんどの市民はこの情報を見ていなかったか、必要としていなかったかのだろう。見ていたとしても他人事として見ていたのは確かだ。

 9月5日に運動を立ち上げたばかりで市民の感情に訴える時間が少なかった。でもなぜ急に10月4日伐採の日程が組まれたのだろうか。

 あるツイートに「市長の独断と予想され、守る会の代表が住民訴訟をしている松浦氏なので、ムキになってる」という内容のものがあって調べてみた。小樽市が進めた新病院の建設中断で基本設計料2,581万円を支払ったのは違法・不当なものだとして住民訴訟を起こしている人と守る会の代表は同じ松浦氏だったのだ。

 別にこれそのものが悪いというわけではない。ただ、市側から見ると「またか」という見方になっても当然のように思う。真実は市の担当者か市長に聞かなくてはわからないだろうが容易に想像はつく。私が当事者だとしても似た反応を示したかもしれない。

 経緯がどうであれ、市は正当な評価を行わずに生きている木を殺した。これだけは確かなことだ。

 今回の結果は不幸ないくつかの事が重なってしまったものだ。また同じ事を繰り返さないために今回のことから学ばなくてはならない。不幸な結果を繰り返してはいけない。

 では何をしたらいいのだろうか。日頃から市民に市の中のことに目を向けてもらう努力を行う。適正な評価を行える体制作りを考えて作る。そしてそのための財源の確保は必要だ。思いつくだけでもこの3点は最低限だと思う。また繰り返さないために。
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【追記】
 今朝の北海道新聞で4本のポプラのうちの2本に空洞があったとの記事が出た。内容としては「空洞があった」という事実関係を述べているものだ。小樽ジャーナルでも同様に空洞が見つかったという記事を出している。内容としては守る会側の樹医の意見を前面に押し出していた。どちらの言い分が正しいのかはわからない。空洞が大きな問題とは言えないのかもしれないが、そこから折れて飛ぶという可能性は否定しようがない。いずれにしろ正当な評価を行わなかった市に非があるのは確かだ。

【追記の追記】
 だがそれを防ぐには、声を大きくして反対を叫ぶよりも、それを正す仕組みを考えなくてはならない。引き合いに出される運河の埋め立て反対運動は決して成功したわけではなく、結果的に折衷案で整備した開発側の成功なのだから。