ロードスター顛末記 その4

-マツダロードスターに至るまでの車達-
今日はちょいと長い。

一番初めの車はトヨタスターレットだった。KP61という形式で通称KP。
小さなファミリーカーなのにCMではラリードライバーのオブ・アンダーソンが峠やダートを走っていた車だ。
学生時代に免許取立てで安い中古を購入して、就職後も乗っていた。共同研究をやっていた会社の人が同じKPに乗っていてラリークラブの練習会に誘われていったのが運の付き。安給料から搾り出しながらショック、アンダーガード類、ロールバー、LSD、足回りの細かな調整を経て完全なラリーカーになった。ガード類やLSDは先輩が刺さって(路外に突き刺さることw)全損した車の部品を安く分けてもらったものだった。取り付け工賃も高いので先輩方に聞きながらのDIYだった。なのでエンジン周り以外のメンテはほぼ自分で出来る。
あるとき改造したKPが意外に高く売れることが分りトヨタレビンへ乗り換えることになる。AE86で通称86(ハチロク)。

86を量産車のレースのクラスであるグループAのレギュレーションを通すためにFISA(国際自動車スポーツ連盟)の役員がトヨタの工場に招かれ、4A-GEという高性能エンジン(当時としては)を本当に量産していることに驚いたという逸話が残っている。ツインカムのアルミのエンジンが量産されるということ自体、当時は凄いことだったのだ。4A-GEには2種類あってトヨタ製とヤマハ製があった。やはりヤマハ製の方がよく回り力があったというのはマニアの間では有名な話だった。私のは運よくヤマハ製だった。

KPを売った差額を払って86に乗り換えて、とりあえず足回りをラリー仕様にした後でRRCK(Rally Rover Club of Kanagawa)の役員の乾さんからレギュレーションの大幅な変更が行なわれることを教えてもらった。変更されると安給料ではきつい状況になることも。

そんなわけで5年ほど続いたラリーに別れを告げることになる。

その後、小樽へ帰るのだが、ちょうどスパイクタイヤ禁止になったころで、当時のスタッドレスはとても使える代物ではなく、FRの86では発進も登坂も難しい状況になったのである。

そんなわけで4WD車を購入することを検討するのだが、一番に候補に挙がったのがスバルのレガシーツーリングワゴンだった。しかし、当時のスバルの営業マンは躾がなっていなくて腹が立って帰ってきたので次の候補を探すことになる(笑)
本当に酷くて未だにスバル車は買いに行こうと思うことは無い。

次なる候補はフォードのテルスターワゴン。知っている方も多いと思うが中身はマツダのカペラワゴンだ。カペラは当時のヨーロッパで高い評価を受けていた足回りを持ち、買ったのはGTだったが86に引けをとらない走りをしてくれた。もちろん荷台も大きくキャンプ旅行も楽々だった。買いに行ったフォードのディーラーで今もお付き合いのある営業マンに会うことになったのだが、工場のメカニックも全員自前のスナップオンを使っていたりするところもテルスターに決める要因にはなっている。

次がマツダファミリアSワゴンスポルト20。従来のファミリアではなくカペラワゴンの前後を切り取ったものと言ったほうが良い。荷台が少し狭くなったが軽くなった車体は軽快なハンドリングを与えてくれた。あまりこだわりも無く買った車だったが、良い足回りは健在で、少し控えめな馬力とが良いバランスの車だった。今でもわりと人気があるようで中古市場でも高い値が付いているらしい。そのSワゴンも扱いが荒かったからかさびが出始めて次を検討する事となる。

もう世の中にマニュアルで楽しめる車が減ってきていたし、そろそろ小さい乗って楽しい車にしようかとも考えていた。そして現在乗っているマツダデミオが候補になった。このデミオは私にとって初のオートマで、初のFFだった。選んだ一番の理由はリッター28キロという当時のガソリン車としては驚異的な燃費だったことだ。どうも車が出来る前に社長が言ってしまったために全社を上げて28キロに到達させたという裏側があったようだが(笑)
マツダはきちんとした車を作る方がハイブリッド車を作るよりも重要だというポリシーを持っていたようで、そこが気に入っていた。ハイブリッド車が環境にやさしいなんてのは嘘だと本当の車好きなら誰もが知っているから。
このデミオ、乗り始めて驚くことになる。とても運転が楽しいのだ。思ったように走り曲がってくれる。冬道のコーナーでもアクセルを開け気味で入っていけば行きたい方向に曲がってくれる。FFだが発進でもトラクションコントロールの出来がよくて前へ進んでくれる。何よりもバランスがいいのでアイスバーンで滑っても立て直しが楽なのだ。さすがマツダ車。そう思った。
昔、材料開発をやっていた頃にマツダの広島の開発の方々と何度かお話する機会があった。とてもまじめで車好きで一生懸命さが伝わってくる人たちだった。あの人たちの作った車なら信頼できる。そんな人たちが作った車なのだ。

初めのKP以外は10万キロ以上乗っていた。一番長かったのは18万キロだったが、テルスターだったかな?86だったかな?
今のデミオも先日の旅行中に10万キロを越えた。
そしてどれも良い車だった。

そうして私も今年は58歳を迎える。
まだ若い気でいるが、体力の低下は実感している。昨年に保護猫を引き取るときに60歳以上は駄目という表示を見て、猫の20年の寿命からするともう後が短い年齢に達してしまったことを実感した。考えてみると妻ももう還暦を越えているのだから。そういうわけで、定年を迎えたら買おうと思っていたロードスターを前倒しして今年買ったわけだ。

明日の昼に納車なのだが、いい年をして遠足前の小学生のようにわくわくしている。何といっても初めてのスポーツカーでありオープンカー。真冬だが天気がよかったらハードトップを外して走ろうかと思っている。

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