投稿者「g3otaru」のアーカイブ

ロードスター顛末記 その1

ユーノスロードスターが出たころはバリバリのラリーストで、あんな軟弱な車といった感覚で見ていたが、メカの出来というか当時のマツダの技術陣のこだわりには一目置いていた。そして近年の自身の老化と妻の「オープンカーで旅行したい」という希望がなんとなくマッチングしていった。

まだ老人と呼ばれる年代ではないが、今のうちにやりたいことをやっておかないと、定年して時間が出来る頃には体力の低下が間違いなく待っている。休みの日にカヤックを積んで海へふらっと出かけるにしても、軽くは無い船体の積み下ろしや運搬は今でもかなり大変なのだ。同じようにスポーツカーをそれなりに運転するには反射神経が衰えてからでは面白くない。近年よく見る「若い頃にあこがれていたスーパーカー」に乗ってトロトロ走る老人達の仲間入りはしたくないのですよ。飛ばすという意味ではなく、トロい走りを自分がするのは恥ずかしい性分なのです。

最近になって中古車市場を探すうちに、NA6CEがいかに少なく、程度がいいものは当時の定価に近いくらいで取引されていることを知った。

とりあえず見つけたはNA6CEのATで最安値は40万円。走行距離10万キロの。
まあいっか!という感じで決めようとも思ったが、やはりATではなくMTが欲しいというところで気持ちが引っ掛かった。やはりスポーツカーはマニュアルだよという気持ちは捨て切れなかった。

調べるうちに、NAではなく次のNBならMTがいくつか見つかることに気が付いた。同時にNA8CのMTも一台見つかったが走行距離18万キロ超。頭の中ではやはり初期型のNA。でも状態を考えると2代目のNBも捨てがたい。そんな迷いの中でそのNA8CEが見に行く前の日に売れてしまった!
やはりこの時期は春に向けてオープンを買おうとする激戦時期なのだね。

そんな経緯でNB8Cを見に行って契約することになるわけ。

続く。

windowsタブレットなどでSDカードにプログラムをインストールしたい

windowsタブレットなどでCドライブの容量が小さく、プログラムを他のドライブに入れたい場合や、デスクトップを他のドライブに移して要領を稼ぎたい場合があるが、よく見るSDカードの中にVHDファイルを作っておいてマウントする方法では、起動のたびにマウントする必要があり、BATファイルで自動化してもデスクトップなどのシステムフォルダまではカード内に移動出来ないなどの不便がある。

SDカード自体をCドライブ上のフォルダにマウントすることでそれを回避出来る。

1.SDカードをNTFSでフォーマットする。仮にこのドライブレターが「D」だとして話を進める。

2.Cドライブに「SD」など適当な名前でフォルダを作る。

3.「PC」のアイコンを右クリックし、機能一覧にある「管理」をクリック。

4.コンピュータの管理内にある「記憶域」に入る。

5.その下にある「ディスクの管理」をクリックする。

6.「ディスクの管理」内にある「D」を右クリック」し、「ドライブ文字とパスの変更」をクリック。↓

7.「追加」を選択し、「次の空のNTFSフォルダにマウントする」を選択。

8.2で「C:」に作成しておいた空のフォルダを指定し、名前を付けてOKを押せば完了。

Cドライブに作った「SD」フォルダをクリックするとSDカードの中が表示されるはずです。Dドライブをクリックしても同じものが見えます。プログラムをインストールする場合などで場所を指定するときには、Cドライブから追って行った方がいいと思います。

バンキングトロージャン

知り合いの会社がやられたということで調べてみたらけっこう話題になってるんですね。
ヤマト運輸からウイルスメールがとか見てたけど気にしていませんでした。
2重の拡張子が付いたファイルなんて開きませんし、ヤマトから圧縮ファイルが送られてくること自体を疑います。

私が言っていることが理解できないようでしたら感染する可能性があります。
このキャノンのページはわかりやすく説明されていますので、ぜひ読んでください。
http://canon-its.jp/eset/malware_info/news/160630_2/

【追記】
正直な話、もっともっと巧妙なフィッシングメールが登場している昨今ですから、この程度のメールに引っかかっていると怖い目を見ますよ。

Web上の質問コーナーの答えは過半数が間違った答え

ずっと以前からコンピューターに関するWeb上の質問コーナーの答えは過半数が的外れか嘘の答え。
私も答えが見つからないときにwebを探すが、いくつもデタラメな答えを目にしている。それもひと目で嘘だとわかるものがほとんどだ。

もしも嘘を見分ける目が無いならヤフーやグーグルで探すのではなく、マイクロソフトに関するものなら、technet.microsoft.comで探すか、answers.microsoft.comで質問するのがいい。他の疑問でもメーカーサイトか定番のサイトを参考にするのが正解だ。

マイクロソフトのanswersも最近は怪しい答えが多いが、モデレータが管理してくれている分、他の質問コーナーよりも安心できると思う。

くれぐれも間違った答えを掴まないように。私の周りのfbなどの質問に対する答えを見ていると、知り合いの詳しい人も信用できない答えが多い(笑)

Windows10へアップデートをしたくない場合

Windows10のアップデートを自動で行わない方法(ローカルグループポリシーの設定変更)です。Windows10へアップデートをしたくない場合は、設定を行ってください。

【ローカルグループポリシーエディターの設定方法】
①Windowsボタンをクリックし、「プログラムとファイルの検索」に「gpedit.msc」を入力し、表示された「gpedit.msc」をクリックしてローカルグループポリシーエディターを起動します。

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②起動したグループポリシーエディターの左側で「コンピュータの構成」-「管理用テンプレート」-「Windowsコンポーネント」-「Windows Update」を選択します。
「設定」の下にある「Turn off the upgrade to・・・」をクリックします。

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③表示された設定画面で「未構成」となっている箇所を「有効」に変更し、「OK」をクリックします。
※既に「有効」となっている場合は、設定の必要がありませんので、「OK」をクリックします。
設定を変更した場合は、グループポリシーエディターを終了させた後に、Windowsを再起動させて設定が反映されます。

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これまでもそうだったが、この方法も回避されてしまう可能性があるのは言うまでもないですが、とりあえずは防げるはずです。

microsoftの正式な解説はここにあります。
Microsoft Japan Windows Technology Support[企業ユーザー向け] Windows Update からの Windows 10 への無償アップグレードを管理する方法https://blogs.technet.microsoft.com/askcorejp/2015/07/22/windows-update-windows-10-2/

記事の日付を見ると、、、去年の7月から止める方法を公開してたってわけ?(笑)

父との旅の思い出

今年は少し特別な年なので思い出を書いてみました。少し長いですがお付き合いください。

父が旅好きだったことと車を持たなかったことから、子供のころからバスや列車に乗って旅することが多かった。
私が小学校前のころは、小樽から札幌へバスで行くのも乗り継いで行く小さな旅行だった。市内線で朝里まで行き、札幌行に乗り換えて札幌へ向かった光景が記憶の隅にある。もちろん国鉄は蒸気機関車に木製の客車だった時代だ。

小学校の高学年になり父は私を連れて道東の旅を計画した。当時は「カニ族」というキスリングを背負った旅行者が日本中にあふれていた頃で、駅前の屋根のあるところには若者が寝袋に入って転がっていた。

さすがに小学生を連れて野宿は気が引けたのか、当時国設だったキャンプ場を使って国鉄とバスで結んでいくルートを父と計画した。その時に時刻表の見方を教えてもらった。
一般に「キャンプ」自体が浸透していない頃で、若いころ山屋だった父らしい選択だったかもしれない。

なるべく出費を抑えるために食事は基本自炊。材料もほとんど持っていく。今のように便利な道具がなかった時代でもあり、いろいろと工夫を重ねながら調理器具や食材を揃えていく。父は黄土色のキスリング。私はスキー用の左右にスキー靴が入る水色のリュックだった。どちらも結構な大きさだったが一杯になっていた。その上に軍の払い下げの毛布を寝袋代わりに縛り付けて持っていったはずだ。どれくらいの重さだったろうか。日ごろから山へ連れ出されていた私なので重くて歩けなかったような記憶は無い。当時小学生としてはかなり大きかったこともあるかもしれない。

小樽から夜行で網走に入り、見物したのちに斜里まで移動。そこからバスでウトロへ向かい、崖の上にあるキャンプ場に入り一泊。夕日がきれいなスポットだが疲れて明るいうちに寝てしまった。

次の日はウトロから早朝の遊覧船で知床半島の崖などの絶景を見ながら羅臼へ向かい、次に尾岱沼へ向かうのだが、羅臼でキャンプしたような記憶がない。船が何時間かかったか覚えていないが、次の尾岱沼のキャンプ場へ入ったのは昼頃だった記憶があるので羅臼で一泊したのだろう。ヒカリゴケを見るか見ないか相談した記憶もある。軽く船酔いした記憶があるので、町から少し離れたキャンプ場に泊まったのかもしれない。

羅臼を離れて野付半島を見たのちに尾岱沼で一泊した。何もない草むらの中にバス停があり、そこからかなり歩いてキャンプ場に入った気がする。かんかん照りの中に物置のような管理棟が建っている風景を覚えている。

次に屈斜路湖畔のキャンプ場へ移動して泊まり最終目的地は層雲峡のキャンプ場だった。屈斜路湖畔は2泊したかもしれない。けっこうな距離を歩いて温泉に入りに行き、遊覧船にも乗った記憶がある。湖畔を掘ってお湯で顔を洗った記憶もある。暖かく穏やかな場所だったので休憩だったかもしれない。

今も鮮明に覚えているいくつもの風景。
行きの夜行列車で朝起きて見た風景は蒸気機関車の後部の石炭庫だった。
網走の真夏でも寒い海水浴場と小さなオホーツク水族館。
斜里の駅前だったかで駅弁と毛ガニの値段を比べ、カニを選んで駅の階段で食べたこと。
荷物を担いだまま歩いて回った知床五胡。
森繁久彌と加藤登紀子の知床旅情を交互に聞きながら揺られた知床一周の遊覧船からの風景。
白骨のような枯れ木で埋まった野付半島の風景。
尾岱沼のキャンプ場の前で味噌汁の具を袋に小分けして売っていたおばあさん。
夕飯のおかずはその味噌汁に海で採ったアサリを大量に入れたものだった。
朝起きたら牛で埋まっていた尾岱沼のキャンプ場の光景。
温泉に入りに行く途中でブヨの大群に襲われた屈斜路湖畔のキャンプ場。
他にもまだたくさんの風景を思い出す。

今も鮮明に覚えているが、最終目的地だった層雲峡のキャンプ場の入口に「熊が出没したため閉鎖」とあったのだ。
この瞬間に旅は終わった。時刻表とにらめっこして小樽までギリギリ帰れることを確認した時に「家へ帰る」という暗い気分に変わったのだった。

そして最後の記憶は層雲峡からの帰りのバスでは空席がなく、誰かが新聞紙をくれて床に敷いて座ったこと。私も父も暗い顔をしていたことだろう。「仕方がないよね」と何度も言葉を交わしたことを覚えている。旭川から鈍行がなく急行に乗ったような気がする。

父が亡くなって37年ほど。私の年齢は今年で父を10超えることになる。父は永遠に47歳のままなのだ。
妻と結婚してから子供たちを連れて似たような行程を何回かに分けて車で廻った。犬や猫を連れてなので当時とは違う。ほとんど同じ光景が広がっているところもあり、まったく面影もないところもある。ウトロの夕日は30年以上後の旅で妻や子ども達と見ることが出来た。

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私の家族と訪れた知床五湖は当時と変わらずに見えた

 

 

 

この時期になると考えること

保健所犬猫応援団のページにうちのプーさんのことが掲載されました。
そこで、この時期になると思うことを書き連ねてみました。少し長いですが読んでいただけるとうれしいです。

うちの愛犬、プーさんはクリスマス頃に街中を彷徨っているところを保護され、犬管理所に収容されました。小樽の犬管理所は暖房もなく雨風を凌ぐだけの施設です。保護のための活動をされている団体の方が寒さに耐えられないと判断して引き取り、その後私の家に来ることになりました。

小樽には引き取られた動物の世話をして引き取り手を探したりしている保護団体があり、殺処分をゼロにしようと活動されています。そのことは何度か新聞でも取り上げられました。読んで知っている方も多いと思います。同じように活動をされている方々が全国にいます。今回プーさんのことを掲載してくださった保健所犬猫応援団もその一つです。

環境省の統計を見ると昭和49年と比べて犬猫の殺処分数は10分の1程度にまで減っています。確かに右肩下がりのグラフになっており、減っていることがわかります。それでも年間に13万匹ほどが殺処分されています。

近年、ペットに関する法令が少しだけ整備され、ペットショップの営業時間に制限が加えられたり、販売業者の義務が明記されたりしました。それでもまだ犬や猫の扱いは「物」であることに変わりはありません。そして、犬猫が「物」のように並べられているペットショップが多いことも変わっていません。

アメリカの一部の州ではペットショップを置けないところがあり、飼いたい人は相談所を訪れてブリーダーを紹介してもらい、ブリーダーと話をしたうえで分けてもらうというシステムがあるそうです。お互いの人柄や状況を確認して売買するシステムです。
日本も同じようにしなくてはならないというわけではありませんが、そういうシステムも取り入れることができるといいなと思います。
今の日本では知り合いの紹介で行くことくらいしかできませんので、情報を集約して紹介できるシステムを作ることはできないものでしょうか。

なぜこんな話になったか。保健所に引き取られる犬猫の中には、飼い主が亡くなったり、事情があって飼えなくなったものも多いですが、おもちゃを買う感覚で買われ、手に負えなくなって手放すものも多いと考えるからです。うちのプーさんのようなケースです。

ペットを飼うということは、お金や時間や生活にいくつもの負担がかかります。そういったことを理解したうえで飼わなくてはいけない。みんながそれを理解できる社会になったら殺処分はゼロに近づけるのではないかと思います。

心に沁みた

昨夜、宴会帰りの電車の中で読んでいて心に沁みた作品。
魯山人にとっての「料理」を私たちの「町づくり」に置き換えるとそのまま通用するような気がします。

「料理はいつもわれわれ日常生活とともにある。そして、そのコツも、いつもわれわれのいちばん手近にある。だが、道は遠いかも知れない。しかし、その遠い道は、いつもいちばん手近の第一歩からはじまっているのだ。」

青空文庫 図書カード:No.50009
作品名: 料理の第一歩
作品名読み: りょうりのだいいっぽ
著者名: 北大路 魯山人
http://www.aozora.gr.jp/cards/001403/card50009.html