Weblog」カテゴリーアーカイブ

なんとも、また・・・

長崎ちゃんぽんのリンガーハットが長崎でドライブスルーの店舗を展開するらしい。

読売新聞の記事だ。「リンガーハット、ドライブスルーで本場進出

笑えるのはこの記事を書いた記者はリンガーハットが長崎の料理屋が始めたものだということを知らないことだ。
別にどのファミレスがどこから出てきたか知らないのはどうでもいいことなのだが、「東京の企業がちゃんぽんで本場進出?」的な書き方をするのにも下調べも行っていない。これは今のマスコミ全般に言えることなので、特に読売の記者がどうとかというわけではないのだが、私的には「なんとも、また・・・」と苦笑してしまったわけである。

映画「グラントリノ」を見た

頑固な偏屈じいさんと東洋人の子供のふれあいと、その子供の成長を描いている。。。と言えなくも無いがその実は今の世の中を皮肉一杯に批判しているように見えた。

見始めてかみさんと「これが頑固じじい?」「いや、普通だと思う」という会話があった。おそらく爺さんを怒らせている周囲の人間は日本にも”普通”にいる人種だ。私の周囲にもたくさん居る。クリント・イーストウッドは何を言いたかったのだろう。朝鮮戦争で犯した罪に対する反省?暴力反対?

たぶんどちらも違う気がする。彼が言いたかったのは「主人公は頑固ジジイでもなく偏屈ジジイでもない」ということなのだと思う。そう、彼は正しいのだ。それが監督の伝えたかった答えなのだと思う。

インディアン・モカシン

もう20年近く履いている靴がある。リーガルのインディアン・モカシンだ。
学生時代から履いていた硬い皮で底も皮底だったものが壊れたので、その当時に出来るだけ似たものを探して買った。そろそろ底が減ってきて修理か買い替えかを選ばなくてはならない状態ではあるが、もう少しなら持つだろう。

主に職場の中で履いているから20年も履けているのだろうが、軽く履き心地もいい。職場内でサンダル履きの人も多いが、人と会う時までサンダル履きというのはどうも馴染めない。どうもだらしなく思ってしまう。なのでこの靴をサンダル代わりに履いているのだ。

たぶんそのものではないようですが、私が履いているものに一番近いと思われるモデルです。

REGAL 555RAB インディアン・モカシン

佐々木譲さん

佐々木譲さんの作品は、青春バイク小説の頃から読ませていただいている。
ここしばらく本を読むことが少なかったが「笑う警官」を購入した。

冒頭から全力で駆け抜けていく迫力。「すごい!」その一言に尽きる。

「夜にその名を呼べば」「ネプチューンの迷宮」などの、どちらかというと軽めのサスペンス物から歴史物まで広いジャンルを書き続けてきた作者の底力なのだろう。

第142回直木賞を受賞してから本業に専念できていないらしいが、また新しい世界を書き続けて頂きたいと願う。

映画「青いドレスの女」

映画「青いドレスの女」を見た。偶然にテレビで映画が始る時間に電源を入れることになった。

秘密酒場と安酒と紫煙。なんとも言えない良い雰囲気がすべてそろっている。1995年の公開当時には話題になったのだろうか。不思議と思い出せない。あまり話題にはならなかったかもしれない。だとするとハードボイルドにお決まりの筋運びと結末のせいだろうか。
そのあたりを楽しめるかどうかがハードボイルドを読める人と読めない人の境目なのだろう。

原作:ウォルター・モズリイ『ブルー・ドレスの女』も読んでみたくなった。

剱岳

映画『劒岳 〈点の記〉』を見た。
2年の歳月と10億円を投じて撮影された映画である。

内容も映像もすばらしいものだった。改めて「山とは」と考えさせられる作品だった。
「なぜ山に登るのか」「なぜ地図を作るのか」そういった問いかけを真剣に考えながら見させてもらった。

この映画の中でも触れているが、この1907年7月の測量に関して「点の記」は存在しない。
作品の中では軍が千年前の行者による登頂を重く見て記録を抹殺したことを示唆するような台詞があるが、映画の中でも四等なので点の記は無いということが説明されている。軍が初登頂しなくてはならないという意地があったようだし、行者を称える余裕もなっかたようだ。

実際、柴崎芳太郎が下見の結果から重い三角点標石などを運び上げることを断念し四等三角点として測量を行ったため「点の記」という公式の記録としては存在しない。実際の測量作業に入るときにはすでに四等と考えていたようで四等用の資材をひとつ追加するように指示していた。

それから100年余り後の2004年にヘリコプターを使って標石を運び、国土地理院により三等三角点が設置された。
その時に作成された三等三角点「剱岳」点の記では選点日時を「明治40年7月13日」とし、選点者として柴崎芳太郎の名が記載されている。

柴崎は1907年7月の周辺の山々の三等三角網の測量によって山頂の独立標高点(現在の「標高点」)を2998m(四捨五入前は2998.02m)と計算した。
2009年の元国土地理院 山田明氏によるGPS等による測量では、2998.42mであった。
およそ百年前の技術にして、なんとも驚異的な正確さだ。

【追記】
2007年(平成19年)が登頂から100年を迎えることを記念して国土地理院北陸地方測量部が「剱岳測量100周年記念事業」として2004年に三等三角点を設置し、GPSにより位置測量を行い、「点の記」が作成されました。
その「点の記」は国土交通省国土地理院の報道発表資料 2004年10月28日付で見ることが出来ます。

なお、広報 第436号 「剱岳三等三角点設置」によると、三角点の選点は柴崎芳太郎測量官の冠字「景」を使い、また同氏が意図していた剱岳三角点番号(27)を用いたということです。
(冠字:選点者の略号。通常は姓の頭文字を用いることが多い。想像だが、柴崎氏の場合は万葉かなの文字を用いたようである。)

リスニングで今年もトラブル続出・・・??

224件のICプレーヤーのトラブルあったと朝日新聞の記事にあったが、何人が英語のリスニング試験を受験したかという数字はは出ていなかった。
母数も言わずに「続出」というも変な記事だ。

毎年繰り返すこのマスコミの書き方は、グリーンピースやシーシェパードのように、正当かどうかの判断ではなく叩きたいから叩くという行為に似ていなくも無い。

実際にはリスニングの受験者数は公表されていないようなので試算してみたい。

英語の筆記を受験した人はほとんどリスニングを受験するという”事実”を元に考える。私が知っている範囲ではおよそ9割以上なのが現状である。
英語の受験者は513267人ということなのでその9割が受験したと仮定して461940人ということになる。224÷461940はいくらになるかというと0.000485、つまり0.05%以下ということになる。1万件に5件以下である。

8割として計算すると410614人となる。
224÷410614では0.000594、つまり0.06%以下だ。数字に弱い記者さんにわかるように言い換えると、控えめにみた8割の受験者として試算しても1万件に6件以下の確率である。

千人に224件なら「続出」という表現も妥当だろう。
一万人でも「続出」で妥当と言えるかもしれない。
では五十万人に対してでは一般的な常識として多いとは言えない数字ではないだろうか。

50万世帯規模の都市で新聞に関するトラブルが何件あるだろうか。150万程度の人口の都市というところだろう。
そういった統計値は無いだろうが、誰か集計してみて欲しい。
興味本位の意見でしかないが、おそらく「続出」と言っていい数値を見ることが出来るだろう。
誰かそういう統計結果を知りませんか?

佐々木譲さんが直木賞

作家の佐々木譲さんが『廃墟に乞う』で第142回直木賞を受賞しました。新聞によると3回目のノミネートでの受賞ということです。
おめでとうございます。

昔から好きな作家の一人で、文庫になったものは時代小説以外ほとんどと言って良いくらいに読ませていただいています。

受賞作以外も是非読んでみてください。
絶対にお勧めの作家です。

佐々木譲資料館(ご自身で運営しているホームページ)
このページからもご本人の許可を得てリンクさせていただいています。

トムラウシ山夏山遭難の中間報告

日本山岳ガイド協会(東京)の調査特別委員会が中間報告書を出した。
北海道新聞社の社説で取り上げられている。さすがに社説だけあってきちんとした内容である。

北海道新聞社の社説

委員会の座長の記者会見で「一般論で言えば(遭難を)防げた部分もある」とある。
社説の中でもあるように客・ガイド・ツアー会社それぞれに責任がある。そのそれぞれが責任を果たしていれば簡単に防ぐことは出来たろう。だが現状でもこれからもそれは難しいことだろう。
座長もそれをわかった上での発言だと思う。

これまで毎年のように起こる事故の度に言われ続けていることだが、装備の不備、日程の不備、判断の甘さが全ての原因である。
北海道は夏でもセーター一枚の差が生死を分ける気候だという認識。条件が悪ければ「また来れるさ」と一歩退く余裕。それらを持たないと死ぬ場所なのだという認識を持たなければこれからも死に続けるだろう。

その社説は「悲劇を繰り返さないための教訓として生かしてほしい」と結ばれている。

NY在住日本人のブログ

NY在住のジャズベーシストの中村健吾さんの奥様のブログをよく見に行く。素敵な旦那様の奥様だから当然なのだが素敵な方だ。

ニューヨーク在住の日本人が見たアメリカというよりも、同じ日本人が見た日本が見え隠れする。

海外に居る日本人が恥ずかしくないような日本にしなくちゃね。