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「忘れられたオーストラリア人」

その言葉をニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンが共演した映画「オーストラリア」の中で知った。
オーストラリアでは1970年台半ばまでアボリジニと白人の間に生れた混血児などに対して虐待が行われてきた歴史がある。
映画の中でその事実があったことをエンドロールで見て驚くと共に、オーストラリア人の監督がオーストラリア人のニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンと共に映画を作った事にも驚いた。

綺麗な奥様が未開の地で珍道中を繰り広げるストーリーだと思って見始めて、中盤からの意外な展開に引き込まれて見ていた物語に、その物語で語りたかった意味という答えを見つけたような気がした。

時事通信の記事によると「オーストラリアのラッド首相は16日、1930~70年代に国内の孤児院など養護施設で、国内や英国から連れて来られた子供たちに対して精神的、肉体的、性的な虐待が行われていた事実を認め、「忘れられたオーストラリア人」とされる当時入所していた50万人もの国民に正式に謝罪した。」とある。

同じく時事通信の記事で「英スカイ・テレビ(電子版)は15日、白人移民の増加を望んでいたかつてのオーストラリアに対し1940~50年代、英政府が児童施設の子供を選抜しては国策として送り込んでいたとして、ブラウン首相が近く公式に謝罪すると伝えた。」という記事があった。

15日付けのイギリス側の発表が引き金になって16日にオーストラリア側が謝罪に踏み切ったようにも見えるが、本当のところはわからない。ただ、どちらも同じ「忘れられたオーストラリア人」に対する謝罪だ。

映画「オーストラリア」は今年3月公開だったから、この映画が影響を与えたのではないかと言えなくはないだろう。
映画を賞賛する声の中にこの事実を広く公開したことに関するものがない事が少しさびしい。

栗城がんばれ!

60%あったSpO2が今朝は57%まで下がっています。

7700mのC2(前進キャンプ)から8000mに設営するはずだった幕営地点まで行き着くことが出来ずに、19時半頃の暗闇の中C2まで下がったようです。
おそらくその8000mの幕営がAC(アドバンスキャンプまたはアタックキャンプ)の予定だったのでしょう。

現地時間の今朝6時のABC(アドバンスベースキャンプ)との定時交信で再アタックか撤退かの判断を下す予定だということです。

天候の狭間を狙っているため急いでいることが気になります。

栗城さんの生中継

栗城史多さんメールマガジンによると単独・無酸素によるエベレスト登頂のインターネット生中継が、予定の9月28日~29日から9月24日(木)21:00~ 9月25日(金)20:00に変更された。

以前のブログに書かれていたモンスーンの動きによる行程の全面的な見直しによるものであるが、この4日の変更がこの偉業に影響を与えていないことを祈りたい。

頂上に到着する予定時間などはまだ公開されていないが、今夜は眠れない夜になりそうだ。

ブログは現在副隊長の森下さんの代筆で更新されている。

interFORest キャンペーン

Mozilla Firefox の最新版「Firefox 3.5」のコードネームが Shiretoko (知床) であることから、知床財団と Mozilla Japan がコラボして “Discover Shiretoko”のサイトが生れたそうです。

interFORest というバナーキャンペーンの名称は下記のような意味だということです。

関心 interest ⇔ 何かのために FOR ⇔ 森 Forest

とりあえず自然(森)に興味を持ってもらおうということなのでしょう。
「DiscoverShiretoko」と連動するプロジェクトで、バナーキャンペーンの参加者が増えていく様子を「バナーの樹」が森へと成長していくという形でweb技術を使って視覚化したものだそうです。

興味を持つ、やってみる、この2つはとても大切なことです。
知りもせず、やりもせず、「つまらない」と言っていては何も始まりません。
そんなわけでバナーキャンペーンに参加しました。
右の interFORest のバナーをクリックして、いかに多くの人が興味を持って賛同しているかを見てみてください。
Outcountry の樹は1947番です。
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ただ、「バナーの樹」を見るには Firefox じゃないとダメらしいです(^^;

いかだレースで不完全燃焼

小樽の道新杯第3回いかだレース大会に出てきました。
今年は妻と孫と3人で家族3人漕ぎで出場です。
いつもはタラタラしている1年坊主もいかだの上では一生懸命漕いでましたよ。
ジジも足と腰と腕の筋肉がパンパンになるほどがんばって漕ぎました。
途中でパドルの板が縦に裂けたりというアクシデントもあったけど、結果は3位入賞(^^)v
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一番手前は元アメリカズカップクルーで競技委員長の菊池透さんです。

 

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新佐呂間トンネル

今回の道東への旅行ではいくつか感動を覚える場所を訪れることが出来ました。
2006年11月7日に竜巻で工事現場が一瞬にして崩壊した新佐呂間トンネルもそのひとつです。
ここには昔の教え子が働いていました。重傷者や死者の中に彼の名前が無いことを確認してほっとしながらも現場の悲惨さに息を呑んでニュースを見ていました。
つい先日にも開通のニュースで、部下を亡くした方がその部下のヘルメットを持ってトンネルを通る車を見ていた光景を見たばかりでした。
私達が安全に旅行できるのは彼らのような人達が居るからなのだということを女房と話していました。
被害に遭われた方々のご冥福をお祈り致します。

夏の終わりに

そろそろ夏も終わります。
夏の終わりの恒例行事「道新杯!いかだレース大会」に今年も出場してきます。
昨年までは若いもんと連続優勝してきましたが、今年は孫と妻と家族3人漕ぎでのんびり楽しんできます。
今年から3位までにトロフィーということですが、勝てるかな(笑)

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こんな顔してますんで、見かけたら応援よろしくお願いします。

「ソーセージの思い出」

SHIRETOKO EYE’S「ソーセージの思い出」(AIR DO)

AIR DOの記事がなくなっていたので、知床で配付されている絵葉書の画像を置いておきます。2017.10.24

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ここに先日紹介したソーセージにまつわる話が掲載されていた。
ぜひ一度読んで考えてみて欲しい。
彼女はなぜ死ななくてはならなかったか。

知床五湖の駐車場で北大の学生が観光客にアンケートへの協力をお願いしていた。私はもちろんこころよく協力した。

アンケートの内容は多岐に渡っていたが、その主旨はヒグマが多く出没する7~8月に知床五湖のほとんどが閉鎖されてしまうため「公式の訓練をうけたガイドと一緒に歩くか、観光客に公式の教育を行って歩かせるか、どちらに賛成しますか?」といった内容のものだった。

さて、なんと答えてよいものか迷う質問が多かった。
アンケートというものの多くは答えを選ぶ形式のために答えを選ばされてしまうのだ。
答える側の意見ではなく質問する側の考えを押し付けられてしまうことが多いのだ。答える側の負担を低減するために仕方が無いのかもしれないが。

私はヒグマが多く出没する時期にわざわざヒグマの邪魔をしてまで五湖に入りたいとは思わない。
観光と自然の共存を模索する中で出てきたアイデアではあると思うが、私は反対したい。
五湖を歩いて景色を楽しみたいのであればヒグマが出没しない9月の時期に行けばいいことではないのか。
あるいはヒグマの邪魔にならない場所を見せてもらうことで十分ではないのか。
ソーセージと同じことが起こる可能性があるのであれば、出来るだけその可能性は廃除するべきなのではないか。
なぜなら私達観光客はその場所へ観光のために行きたいだけであって、その場所に住んでいるのでもなく、どうしても行く必要があるわけでもない。

今の観光客へのマイカー規制とヒグマの出没地域への立ち入り禁止よりも厳しい規制を行うのであれば賛成だが、もっと多くの観光客を立ち入らせることには反対だ。数多く人の中には常識という言葉さえ知らない者も居る。

マーフィーの法則の中にこんなものがある。
It is impossible to make anything foolproof because fools are so ingenious.
さて、安全対策(ガイドや講習)で双方の安全は確保出来るのだろうか。
because fools are so ingenious.

知床に行ってきました


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「ヒグマと共存するために~私たちにできること~」
ソーセージの話を知っていますか
コードネーム97B-5、またの名をソーセージ。・・・

こんな書き出しで始まるポスターが知床五湖の土産物屋の入り口にある。
観光客が投げ与えたソーセージが発端で人を恐れること忘れてしまったメスのヒグマの一生の話だ。
結果的に人に危害を加える可能性が高くなり射殺される。
おそらく直接的に殺した(殺さざるを得なかった)のはハンターであるが、彼女(ソーセージ)が殺される原因を作ったのはソーセージを投げ与えた観光客なのだ。

一緒にいた娘達にも読ませた。
もちろん彼女達は幼少のころから私と野山を歩いてきたのだから”ソーセージ”を投げ与えることも落としてくることもないだろうが、何気ないひとつの行動がきっかけとなって周囲の人や自然に影響を与えてしまうことを改めて考えてもらいたかったからである。

このポスターの記事が公式のページにないかと探してみたが見つからなかった。
もしも五湖を訪れることがあったら読んでほしい。
およそ40年前から3度目の知床で知った悲しい実話だった。

女房と結婚した6年前から北海道の岬制覇を目指してきて、最後の知床岬を制覇する前に愛犬Bettyは永眠してしまいました。
昨年まではいつもBettyが一緒でした。Betty、残念だったね。